根こそぎにされた暮らしから支え合い立ち上がる

福島県被災地視察報告 その1

7月20日〜21日、東京自治研究センターのまちづくりウォッチングに参加し、福島県川俣町と南相馬市、新地町などを視察して来ました。

1日目、福島に着くとすぐ、福島大学で今井照教授から、今回の災害と福島県内の各市町村の対応について講義を受け、危機管理において、自治体の対応力の差が如実に表れている実態をお聞きしました。福島大学のキャンバスも、放射線量が高く、側溝の泥などを埋めるための工事を実施していました。
川俣町山木屋地区の視察は、地元の美術館長 菅野波男氏が案内してくださいました。冷害に悩まされる山間地でありながら、絹や酪農・しゃもなどの名物づくりや文化振興で、次世代が住み続けられるまちづくりに努力してきた町であることが、伝わってきました。その中で、山木屋地区が計画的避難地域となり、集落は無人となっています。緑あふれる菅野氏の牧場、しかし、側溝をガイガーカウンターで測定すると、16μSv/hもの放射線量でした。町内の仮設住宅でお聞きした、「震災前のように、孫とくらしてぇ〜」という悲痛な声が心に残っています。山木屋にあった352世帯の方が、517世帯に分かれて避難しています。子育て中の若い世代は、少しでも放射能の害の少ない遠方へ避難し、訪問させていただいた372人が住む仮設住宅の平均年齢は72才です。

翌日は、飯館村を通り、南相馬市、新地町を視察しました。
飯館村の村役場前にはモニタリングポストが設置されており、3.06μSV/hの表示が・・・ 数人の方が、役場に残って仕事をしていたり、いくつかの事業者が、通勤操業ということで、窓を閉め切って操業していたりする以外は、ひと気のないまちを通り抜けるという、異様な体験をしました。
2日目の昼頃、相馬市に入った辺りの保育園で、子どもの声を聞いた以外は、子どもを全く見かけなかったことも象徴的でした。
南相馬市では、桜井村長にもお会いし、お話を伺いました。自治体間の横のつながりが、災害直後は一番力になったという言葉や、国や県とは独自に、自分たちのまちの復興ビジョンを、いち早く創ろうとしていらっしゃることが印象に残りました。
新地町は、今回視察した中では、津波の被害を一番強く受けたまちでした。海沿いに走っていた常磐線は、駅舎ごと壊滅的な被害を受けています。えぐれたままのホームや、錆びたレールなど、復興への困難さを実感しました。

困難な中でも、自分たちのまちは自分たちで守る。なんとかしてこのまちに暮らし続けたい。お会いした自治体の職員の方々や、住民の方々の自治意識は、被災をきっかけに高まっているように見受けられました。仮設住宅の自治会長になられた方が、さっそく卓球台を手配して、顔が見える関係作りを始めるというお話を聞きましたが、人を中心にしたまちの復興は、支え合う住民の力から始まっていました。

福島の皆様の粘り強い復興への歩みの一歩一歩に、心から尊敬の念を感じます。がんばれ、福島!